堺の話 その四

種子島に伝来した鉄砲は堺で作られ広まった!

家康発注の日本初の大砲も堺製であり、17世紀半ばには年間1万丁の鉄砲が量産されたそうです。

また南蛮渡来のタバコが栽培され、葉を刻む包丁の需要が増えたため、堺製のタバコ包丁がその切れ味の鋭さから江戸幕府より「堺極」印を受け一世を風靡しました。

現在も全国の料理人のほとんどが堺の包丁を使っています。!(^^)!

それらの金属加工の豊かな経験と高度な技術は、自転車のフレームやパーツ製作に活かされ、メイドインジャパンの技を象徴する堺の名を世界的なものにしました!

出典: 堺の話の話  📕

 

堺の話 その三

徳川家康はあの大坂夏の陣で死んだ。それも堺で…(@_@)

こんな伝説がまことしやかに伝わるように南宗寺には家康の墓があります。当然のごとく死去は伏せられ、代わりに影武者が充てられ、家康の亡骸は密かに日光東照宮へ運ばれ葬られたといいます。

それを裏付けるように元和9年(1623)の7月に秀忠、8月には家光と二人の将軍が相次いで南宗寺を訪れています。寺の土塀には葵の紋入りの瓦が使われ、山門前には「家康終焉の地」を表す石碑が建っています。

出典:堺の話の話   📕

重荷が人をつくる

身軽足軽では人はできぬ

堺の話 その二

堺が生んだスーパースター千利休 ☆彡

千利休は堺の商家に生まれた。堺において北向道陳から東山風の茶の湯、武野紹鴎から侘茶を学び、茶道を大成した。

信長に接近し、その後「天下一の茶坊主」として秀吉に仕えるが、やがて対立し自刃する。

この時代の堺は、国際都市として日本の海外ビジネスの最重要拠点でした。

※出典:堺の話の話 📚

やり方をまねるより あり方をまねる

堺の話 その一

ピラミッドをしのぐ墳墓として知られる仁徳天皇陵古墳は、円と四角を連結させた、上から見ると鍵穴のような形の前方後円墳だ!

面積は約46万平方メートル。甲子園球場12個分の広さは、5世紀の人力で1日最大2千人が働いても15年8か月かかると言われており、当時の大王の権力が絶大だったことがわかる。(◎_◎;)

 

この仁徳天皇陵古墳をはじめ100基を超えたとする百舌鳥古墳群は、大阪湾入り口の明石海峡や紀淡海峡からも見え、大陸・朝鮮半島、北九州から難波津への来訪者の度肝を抜いたそうです。

※出典:堺の話の話 📚

 

理想は常に向うもの  現状は常に変えるもの

理念は常に変えないもの

 

 

贈る言葉

心はいつもあたらしく 毎日何かしらを発見する

高村 光太郎

卒業式を迎えたあなたへ・・

「今まではこうしてきた」とか、「そんなことは前例がない」というのは、考えること、工夫することを諦めた人が使う言葉ですね。

どうすればもっと良くなるか。なにか方法はないか。

今「常識」といわれるものを打破し続けることで、常に最新のあなたでいてください。”(-“”-)”

心はいつもあたらしく 毎日何かしらを発見する

新たな門出に、わたしからの贈る言葉。